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大正時代 職業 一覧|消えた珍しい職業5選

かも

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大正時代にあった、今では消えた、もしくはほぼ無くなった職業を知っていますか?
大正時代は技術の進歩や社会の変化により、多くの職業が生まれ、そして消えていった時代でした。この記事では、今では見なくなった珍しい職業を5つご紹介します。現代では見られないその職業が、当時どのような役割を果たしていたのか、そしてなぜ消えたのかについて5つピックアップして解説します。

大正時代 職業 一覧|消えた職業1:電話交換手

電話交換手とはどんな仕事?

大正時代の電話交換手は、当時重要な役割を担っていました。というのも、当時の電話は、現在のようにボタンを押すだけで相手に繋がるわけではなく、電話交換手が、人の手で電話回線を繋げることで、会話が成立していたからです。

まず電話をかけると、最初に交換手が対応します。
交換手に「どちらにお繋ぎいたしましょうか?」と聞かれるので、相手の番号や場所を伝え、手動で回線を繋げてもらう仕組みです。

ちなみに、初期の電話にはダイヤルが無く、受話器を上げるだけで自動で交換手につながりました。

相手につなげてくれる交換手がいないと、電話のシステムは成り立ちませんでした。また、電話局の仕事場では、たくさんのケーブルや穴が並ぶ「スイッチボード」を使って、電話交換手が迅速に対応していました。交換手は特に女性が多く、礼儀正しく、迅速な対応が求められる職業でもありました。

当時の日本は、まだ電話が普及し始めたばかりでしたが、都市部では次第に電話の需要が増えていきました。その結果、電話交換手は都市の生活において欠かせない存在となったのです。
また、交換手はお客さまの個人情報にも関わる仕事であるため、信頼性責任感も非常に重要でした。まさに、大正時代を象徴する職業の一つと言えるでしょう。

電話交換手が消えた理由

大正時代に重要な役割を果たしていた電話交換手ですが、技術の進歩とともに次第に姿を消しました。主な理由は、自動交換機の導入です。

初めのうちは、加入者がそれほど多くなかったので電話交換手だけで取次ぎ出来ていたのですが…。しだいに利用者が増え、人の手だけでは追いつかなくなってしまったのです。

そこで、電話番号を使い、電話をかけたい相手に自動で繋がる自動交換機が登場しました。

これまで人力で行っていた接続を自動で行えるようになり、市内だけで利用できたステップ・バイ・ステップ交換機、市外通話も自動で出来るクロスバ交換機などが登場します。


現代では、インターネットやスマートフォンの普及によって、電話回線を手動で繋げるという考え自体が遠い過去のものとなっていますが、かつては通信の命綱とも言える重要な職業だったのです。

大正時代 職業 一覧|消えた職業2:タイピスト

タイピストはどんな仕事?

タイピストとは、手書きで文章を作成する代わりに、タイプライターを使って正確かつ迅速に文書を作成する職業です。

大正時代、企業や役所での文書作成にはタイピストが欠かせない存在でした。手書きよりも早く、読みやすい書類を大量に作成できたため、特にビジネスの場で活躍していました。

具体的には、上司や顧客が手書きで下書きをした文章などをタイピストがタイプライターで清書していくのが仕事です。

当時のタイピストは女性が多く、正確なタイピング・知識が求められたため、非常に高いスキルが必要でした。

タイピストは書類をただ打ち込めば良いわけではなく、間違った内容があればそれを指摘し、修正する必要がありました。ときには、ドイツ語などの外国語で入力することもあったため、語学力も必要になりますね。

高いスキルを持ったタイピストは多くの企業から求められますし、給料も当時の職業婦人より高額。今のように、手軽にネット検索が行えない当時、彼女たちが担っていた役割は大きいものでした。

タイピストが消えた理由

タイピストという職業が消えた理由は、技術の進化にあります。まず、タイプライターに代わってワープロが登場し、その後、パソコンが普及したことで、文書作成の方法が大きく変わりました。専門的なタイピストがいなくても、誰でも自分で簡単に文書を作成できるようになったことが大きいですね。

タイプライターでは、一度間違えると修正が難しく、最初からやり直すことも多かったですが、パソコンやワープロは修正が簡単であり、文書の保存や複製もすぐに行えます。これにより、タイピストの専門技術が必要とされなくなり、職業としての需要が減少していきました。

また、現代では文章のやり取りも電子メールやオンラインツールを使って行われるため、紙に印刷して配布する必要がなくなったことも、タイピストが消えた一因です。これらの変化により、タイピストという職業は現代のビジネス社会から姿を消してしまいました。

  • ワープロやパソコンの普及
  • 修正や保存の簡略化
  • オンラインでの文書のやり取り

これらの要因が重なり、かつてのビジネスに不可欠だったタイピストという職業は、過去のものとなりました。

大正時代 職業 一覧|消えた職業3:ジンタ(街頭音楽隊)

ジンタとは何をしていたのか?

ジンタは、大正時代に街角やイベントで演奏していた小規模な音楽隊。ジンタという名前は、「ジンタッタ、ジンタッタ」と聞こえる演奏の擬声語から来ています。

1887年、海軍の軍楽隊出身者を中心に「東京市中音楽隊」が結成され、行進曲やワルツなど、西洋音楽を庶民に普及させていきました。大正時代のようにラジオやテレビが普及する前の時代、生の音楽を聞くことができる機会は限られていたため、ジンタの演奏は多くの人々にとって貴重な娯楽だったのです。

  • 街頭やイベントでの生演奏
  • 商店や映画館の宣伝活動
  • お祭りや祝い事での演奏

このように、ジンタは街中の風景の一部として、人々を楽しませ、情報を伝える役割を果たしていました。

ジンタが消えた理由

ジンタは、日露戦争を機に各地に増えていったのですが、全国でジンタが増えすぎてしまうという問題が起きました。中には、経済的に苦しくなるジンタも現れ、活動内容の変化を求められました。

そこで彼らの活動が音楽から、映画館での客寄せだったり、広告のために町を回ったりといったものに変化していきます。

ただ、それも大正時代後期に入ると衰退し、チンドン屋などに取って代わられてしまいました。昭和時代には姿を消してしまい、ジンタという言葉は今では一部音楽関係者で使われるのみとなっています。

大正時代 職業 一覧|消えた職業4:鋳掛屋(いかけや)

鋳掛屋とはどんな職業?

鋳掛屋(いかけや)とは、主に家庭で使われる金属製品の修理を行う職人のことです。江戸時代から昭和にかけて活躍した職業で、鍋や釜など、日常的に使う道具が壊れたり、穴が空いたりした際に、それらを修理して再び使えるようにするのが鋳掛屋の仕事でした。

由来は、金属を「鋳(い)して」、「かける」ことから。

                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                   物を大切にし、壊れたものをすぐに捨てるのではなく、修理して長く使うことは、今のSDGsの考え方にも通づるものがあります。

鋳掛屋は、各家庭を回って修理を請け負う「行商スタイル」が主流でした。町や村を巡り、声をかけられた時に仕事をするというものです。

例えば、鍋に穴が空いた場合、鋳掛屋がその場でハンダ付けなどを用いて直し、使える状態に戻していました。
当時の金属製の道具は高価で、時には盗人に狙われるほど価値があるものでした。買い替えが容易ではなかったため、鋳掛屋の存在は非常に重要だったんですね。壊れた鍋や釜を長持ちさせる技術を持っていた鋳掛屋は、日常生活に欠かせない職業だったのです。

このように、鋳掛屋は大正時代の生活を支える重要な職業でした。

あの妖精も鋳掛屋?

「ピーターパン」に登場する、ティンカーベルの職業も実は鋳掛屋という事を知っていましたか?

英語の「Tinker(ティンカー)」は鋳掛屋のことで、ティンカーベルもお鍋やフライパンなどを修理してくれたそうです。

鋳掛屋が消えた理由

鋳掛屋が消えた理由は、大量生産の普及物の価格の変化にあります。大正時代の終わりから昭和にかけて、工業技術が急速に発展し、家庭用品も安く大量に生産できるようになりました。その結果、壊れた道具を修理するよりも、新しいものを買ったほうが手軽で安いという時代が到来したのです。

また、近代工業で生産されたプレス成型のアルミ鍋などは、流しの鋳掛屋が簡単に修理できるものではなかった、という理由もあります。

  • 大量生産技術の進化で、物が安価に手に入るようになった
  • 買い替えが主流となり、修理する文化が薄れていった
  • 近代工業で生産された商品の増加により、修理が難しくなった

こうして、かつては街を歩き回り、家庭を訪ねていた鋳掛屋は、時代の流れとともに姿を消しました。物を大切に修理して使う時代から、新しいものを手軽に購入できる時代へと変わったことで、鋳掛屋の仕事は不要となっていったのです。

ただ、鋳掛の技術そのものは今も需要があり、鐘や釜などの鋳掛を行う鋳造業者も。

鉄製の製品も、丈夫で長持ち、そして鉄分補給も出来る事から現在も愛好者がいます。長く使えて、愛着がわくというメリットもありますよ。

大正時代 職業 一覧|消えた職業5:ポン菓子屋

ポン菓子屋って何?

ポン菓子屋は、大正時代から昭和初期にかけて街角で活躍していた移動販売業者です。米を専用の機械で膨らませて作るお菓子を販売していて、このお菓子は、「ポン!」という大きな音と共に米が一瞬で膨らむことから、ポン菓子、またはドン菓子と呼ばれていました。

ポン菓子屋は街中やお祭りなどのイベントで、子供たちに人気の存在でした。専用の機械を路上に設置し、米を筒に入れると機械の圧力で一気に膨らみます。このときに、大きな「ポン!」という音が鳴り響き、子どもたちはその音を楽しみながら出来上がったサクサクのポン菓子を楽しみました。

また、行商が売り歩く以外にも、工場で生産し、ポリ袋に入ったタイプも販売されていました。ニンジン型のものが有名ですね。

ただ、こういったタイプは湿気に弱く、出来立ての方が香ばしくて美味しいのは明らか。出来立ての方が美味しいのは、ポン菓子も同じでした。

ちなみに、ポン菓子に加工できる原料は、米以外にも以下のようなものがあります。

  • オオムギ
  • ソバ
  • もち
  • 銀杏
  • マカロニ
  • 昆布…etc.

ポン菓子は海外生まれ?

「日本のお菓子」というイメージが強いポン菓子ですが、生まれたのは1901年のアメリカでした。

ミネソタ大学の研究院である、アレクサンダー・ピアース・アンダーソン氏が実験中、誤って粉状のコーンスターチを膨化させてしまったことがきっかけで誕生します。

その後、アンダーソン氏はクエイカーオーツ社と協力し、「パフライス」という名前で米のポン菓子を発売したのでした。

ポン菓子屋が消えた理由

ポン菓子屋が消えた理由の一つは、家庭用冷蔵庫や食品加工技術の発展です。これにより、家庭でも簡単に保存できるお菓子が普及し、街頭でわざわざポン菓子を買う必要がなくなりました。スーパーやコンビニで手軽に購入できる市販のお菓子が増えたことも、ポン菓子の需要を減少させた要因です。

現在でも、特定の祭りやイベントで見ることができる場合もありますが、日常的に街角でポン菓子を作る光景はほとんどなくなっています

久しぶりにポン菓子を食べたくなった!というときは市販品を購入するのがお手軽ですね。

まとめ|大正時代を支え続けた職業たち

大正時代には、今では見られない職業が多く存在していました。それぞれが当時の社会で重要な役割を果たしていたものの、技術や生活の変化によって姿を消しました。

ポン菓子屋など、少数ながら残っている職業もあれば、電話交換手など完全に無くなってしまった職業もあります。

過去の職業を見ていくことで、時代の変化を感じる事が出来ますね。

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